わたしは「オカルト」ではないw








急に上がってきた波。こういう時のために自営業やってんだ!押忍!!なんて思いながら海行ったら、人いっぱい・・・世間はまだお盆なのねーw ダンパー一直線祭りを予想してましたが、なかなか切れた波でしたよ。しかしあたしって、我ながら波運いいと思うわー。どう考えても、あたしに「どうぞ!」って来るんですけど。ま、日ごろの行いがいいからな!笑。次回もいっぱいいい波乗せてもらえるように、ゴミ拾いまくって帰ってやりましたよ。下心満載ですが、ゴミがなくなるのに変わりはない。動機などなんでもいいのだ。

これ、目下の課題!

りょうこじゃないよ。りょう子の研究ではない。りょうしだ!わたくし、「意識」についてよく書かせてもらってますが、多くのみなさまは、わたしが「あちらの世界」へ行ってしまったと思ってらっしゃるようなんでございます。「変な本読みすぎだろ」とかいわれるんですが、ちょっと待て!! 「意識の世界」をれっきとした科学として研究している人たちはいっぱいいる。そのひとつが量子論なのだ。

あたしをオカルト扱いする前に、量子論について調べておくんなまし。あたしはまったくオカルトではないぞ。なんだったらオカルトに憧れる。オカルト能力ほしいけど、残念ながらまったくないタイプだ。すばらしいほど、この三次元世界しか見えてない。が、意識という不思議な世界があって、それをうまく使いこなせば、かなりたのしい世界が広がることは実体験として経験してる。それがあまりにもおもしろいから書いてんだ。量子論と意識の関係について知らずにわたしをただのオカルト扱いするのはやめてくれ。w

たとえば、こちらのビデオ「量子もつれと意識」。たまらん。5分のビデオなんで見てください。このビデオに出てくる、麻酔科医、医学博士のスチュワート・ハメロフさんは、アリゾナ大学の「意識研究センター」の所長。これ、あたしにはもうトキメキトゥナイト!な世界!

量子論を意識の世界と結びつけると、量子力学を勉強している方に「オカルトと一緒にすんな!」って怒られるんですが、個人的には、量子と意識は切っても切り離せない関係だと思ってます。量子論の摩訶不思議ワールドについては、わたしがブログで説明するのは不可能なので自分で勉強してください。
この本もっとも分かりやすいかも。

だいたい、物理・数学はつねに10点とかだったわたしが、十数年前のある日、本屋で目に入ったこの本を、なぜか買ったことからしておかしい。読め!という宇宙からのお告げだったとしか思えない。

これ読んで、なんだこの世界は!!ってなって以来、秘かに研究してんだけど、やっぱ意識は量子だと思う。量子とは、素粒子とか光子といわれる、1ミリの1000万分の一以下のミクロの世界の話で、その世界では、マクロの物質世界では起こり得ないことが起こりまくってる。

人間の肉体も、最小単位に分解するとそのミクロな素粒子でできてることになるんだけど、その素粒子は、「粒であり、同時に波である」という不思議な性質を持ってる。が、人間は粒の状態しか見ることができない。なぜなら、人間が観測・認識すると、波のようにゆらいでる状態の素粒子は粒になってしまうからだ。
「素粒子は、同時に粒であり波であることは実験によって明らかになってるけど、人間が観測した瞬間に粒になってしまうので、人間は粒の状態しか見ることができない。」

って!!なんてエキサイティングな世界だー!
あたしはそれだけで興奮できるんですけど。
できない?

以下、この素粒子の世界をわたしが勝手に意識の世界とつなげてみます。量子力学勉強してる人に怒られるヤツです。


意識も物質も本来すべてがエネルギーで構成されている。エネルギーにも最小単位=エネルギーの素粒子があって、それは空間を埋めつくしてる。真空空間には何もないと思われてるが、真空状態で、この素粒子が生まれたり消えたりしてることも、たしか研究で明らかになってる。わたしは、すべての物質はこのミクロのエネルギー粒子に分解することができて、それが意識といわれるエネルギーだと思ってる。つまり、すべては意識でできてるんだ。そして、この世はすべてこのミクロな意識の粒子で埋めつくされている。

このエネルギー粒子は、基本あいまいな波の状態だが、私たちが観察すること、つまり認識することで粒状に変化する。「地球がある」と認識するから「地球」が見えるようになる。「わたしがある」と認識するから、「わたし」が見えるようになる。あると思えば、すべてそこに現れる。って世界。量子論では「自分が見ていない時に月は無い」と言われていて、アインシュタインをも悩ませた、最大の理論なんですが、わたしはそういうことだと思ってる。

さらにもう一つ。これも量子論では有名な例えに、「シュレディンガーの猫」っていうのがいる。超簡単に説明するけど、毒入りの箱に入れられたネコ。は、人間が観測するまで死んでいる状態と生きている状態が重なっている、という理論。つまり、ものごとにはあらゆる可能性があって、それを決めるのは自分の認識次第ってことだとわたしは理解する。

だから、あると知っているものは目の前に現れる。願いが叶う原理はここだ。

宇宙には、わたしたちが認識できる物質的な宇宙と、認識できない正体不明な宇宙があって、その割合はだいたい5%と95%だそうだ。これ、顕在意識と潜在意識の世界でいわれている割合と同じなのだ。なんという偶然だ。完全にロマンだ。宇宙は意識だ。つまり、すべては意識なのだ。だから、そのテクニックさえ分かれば意識次第でどーにでもなる!そして、人間は死んだら、そもそも自分を構成しているこの粒々の意識になって、空間を満たしている意識の海の中へ溶け込んでいく。けど、自分というアイデンティティは失われない気がする。


が、あたしの勝手な結論だ。

あー。アリゾナの「意識研究センター」で勉強したい!が、アリゾナは波なさそうなのでムリだ。残念だ。あたしには量子論より、あしたの波のほうが大切なのだ。だから本読んでなんとか自分で勉強するのだ。