「まいっか」教で感情と折り合いをつける








tangerine
だいぶ日が長くなってきたねー。どんどん春に近づいてるハズなんだけどな。さぶいヨネー。思考は意識を注いだものを引き寄せるから、自分の考えてることにはつねに注意を払いましょう。ってなことをつねづね言ってるわけですが、ここんとこ、ちょー引き寄せてるものがある。それは、そう、わたしの大好物、み・か・ん!毎日みかんを食べ、毎日みかんのことを考えてたら、今うちにみかん50個くらいある(笑)90%いただきもの。みかん引き寄せまくってるⓣⓗⓐⓝⓚⓢ

さて、きょうは久しぶりに禅問答してみたいとおもいます。
相変わらず、わたしは日々感情の解放作業っていうのを一人もくもくとやっています。
みなさんにも、このブログで、不要な感情は解放にかぎるぜ!!
などとお伝えしているわけですが、最近、この『解放』って言葉は
ちょっとちがうんじゃないかと思いはじめた。

『解放』って言われると、イメージとしては、
さようならー!自由に好きなところへ飛び立ちなさいませ!
って気分。
あまり好きじゃない感情も、それを感じつくし、いるのを認めて、ではさようなら!
それでいいと思ってたんですが、
どんだけ解放しても、ネガティブな感情っていうのは自分の中にあり続ける。
消えてなくなることはない。

わたしは特に、不安や怒りの解放(かなりなくなった)や、
最近はとくに自己否定的な感情をみつけては、
”あたしってばホントいけてないわー”ってな感じで感じまくってます。
ほんと不思議なんだけど、解放すればするほど、
不安になるこことや私を怒らせるシチュエーション
っていうのは確かに劇的に減ってる。
けど、やっぱり怒りたくなる時だってあるし、ちょっと不安に駆られるときもある。

”いつになったらこの感情たちから完全に解放されるんだろうか”
と思っていたところ、またすばらしい本との出会いがありまして、
以下、その本に書いてあったことを私なりにまとめてみた。

ネガティブ、ポジティブ関係なく、感情っていうのは自分が生み出した子供
小さいころからずーっと、親、先生、友達などと関わりながら、
わたしたちは様々な感情っていう子供を生んでる。
で、自分の子供なのに、大人になると、私の場合は、
「怒りたくないから、“怒り”はいなかったことに!」ってな感じで、
あらゆる手段を使って怒らなきゃいけないシチュエーションを避けてきました。
その結果、私が生んだ「怒り」は、がっつりいる。のに、
まるで存在してないかのような扱いを受けつづけてるわけ。
自分の母に、目の前にいるのに見えないフリをされてる子供ですよ。
そりゃー、たまりません。なんとしてでも存在してることを知らせようとする。
だから、さまざまな方法で私を怒らせる状況をつくりあげる。
の繰り返し。
これがよく言うインナーチャイルドってやつなんだと思います。

で、ここで、自分の中の嫌いな感情と折り合いをつける方法として
今までのわたしなら例の感情の「解放」が登場するわけですが、
自分の子供なのに、解放っていうのもなんだかおかしいと思ったわけ。
どう考えても解放ではない。じゃーなんだろと考えたら、それは、
いないフリをしてたことに詫び入れて、
そこに存在していいことを認めてあげて、
怒りを持った自分を、そのまままるごと受け入れる。
っていうのが、「解放」のホントの意味なんじゃないのか。
って思ったわけ。
嫌いな感情と一つになるってことです。
さようならする必要もなければ、
人間を生きる限り、たぶんさよならなんてできない。
怒って、泣いて、いら立って、不安になって、恐れてる。
人間らしくていいじゃないかー。そのままでいいのだ。
だいたい、喜び、愛し、平安で楽しい自分はすぐに受け入れられるのに、

怒って不安になって恐れてる自分は受け入れられない。
だから解放!っていうのもおかしなハナシだ。
ポジティブネガティブ含めそんな私ですが、それでいんじゃね?!
って最近思えるようになってきました。
というわけで、今年度の私のテーマは、
ズバリ、
『まいっか!』
なんでございます。
今までは、怒ってる自分をみつけては、
あら大変。さっそく解放せねば!って思ってたんですが、
今年度は、怒ってる自分をみつけたら、
”そんな自分だけど、まいっか!”
で行くことにいたしました。
この方がやりやすい。

ああ、ほんとに、世の中の人みんなが、
こうして感情と向き合っていくことができたら
どれほど平和に満ちあふれたすばらしい世界になるだろうかと思います。
結局、いかに自分を愛するか。に行きつく。
世界中の人が自分を愛したら、世界から戦争はなくなると確信いたします。

Love-Yourself