ちょっとでも不安を感じることがあるなら読んでみて。








日本を出る前になんだかんだと波がつづいてて忙し。昨日の海は波数多いし途中にめっちゃ浅い関所あるし、見るからに(これ、アウト出れないやつじゃん)って感じで、案の定2回打ち上げられた。笑。鬼ほどパドルしてんのに、振り返ったら岸が目の前ww しかも2回目のトライの途中、グリグリなのドルフィンしたら板がすっぽーんと抜けて、そのまま両膝が激浅の海底にどんっ!!って、完全に身長3センチ縮まり、腰もピキ!ってなって、もーむりーってあきらめて上がったとこに、ともだちがやってきて、「なにやってんの。出れるでしょ。も一回行こ!」って誘われて3回目トライしたら、ほぼ波かぶらず出れた上に、まあまあいい波乗れてありがとうございました。笑。あきらめちゃいけない、そして、ビーチブレイクはよく観察しましょう。いまさら。笑。


からの〜、永遠に届かないサーフハットがやっと入荷したので発送祭りをバイトにお願いし、わたしは引きつづき確定申告フェスティバル、からの夜はともだちとへっころさんで最後の晩餐。いろんな話をしたんだけど、結論です。体感が粗い方のあらゆる感情(一般的にはネガティブと思われている感情のこと)の根源にあるのは「安心したい!!」だってことです。

感情のワークではその裏にある欲求はなんなんだろうってとこを見ていくのが重要です。以前ブログに書きましたけど、その欲求はおおまかに4つに分けることができます。
承認欲求(認められたい、他人の目が氣になる)
安全欲求(小さな変化が怖い、安定を求める)
制御欲求(思い通りにしたい、強要したい、トップでありたい)
分離欲求(⇔帰属欲求)(自分は特別だ⇔仲間がほしい)

感情を見ていくと、そこには満たされなかった欲求がかならずあることが分かりますし、その時満たすことのできなかった欲求を今の自分が当時の自分に与えてあげる(わたしは瞑想などを利用します)ことで、そのできごとや人物に抱いていた感情的執着をまぢで一氣に解放することができます。

わたくしの最近の案件のひとつが制御欲求でございました。まだこんなの出てくるの?!って、自分のエゴの暴走にかなり衝撃を受けましたわ。制御欲求は「自分のコントロールできないことはもう完全に手放す。」って決めるしかないと思ってたので、とにかく解放しながらも観察してみたところ、なんとですね、そこには制御不能になることへの不安と恐れがあることが発覚いたしまして。

そっか!自分の思い通りにならないって、めっちゃ不安で怖いんだということ、つまりそれは自分の思い通りにすることで安心感を求めてるんだということがわかったのでございます。ここでも安心したいが出てきたか!って感じでしたわ。人は無意識に変化を恐れます。だから人間関係やその他さまざまなできごとにおいて、自分の思った通りにならないことはつまり未知の世界へ連れてかれるような感覚になるわけで、その未知の変化に不安を抱くわけです。

あらゆる感情の裏には安心したいという欲求があるんですよー。
たとえばですね。

怒り:認められないとか思い通りにならないことで起こる感情ですが、結局認められること、思い通りになることで安心感を求めてます

かなしみ:認められない、愛されていない、仲間はずれになっているといった妄想から起こる感情ですが、この感情も結局認め、愛され、帰属することで安心感を求めてます。

恐れ:当然のごとく、恐怖を抜けて安心したいんです。

不安:一番わかりやすく安心したい欲求がある感情です。

嫉妬:自分より相手の方が上であるという妄想から起こる感情ですが、自分も嫉妬の対象と同じように他者から承認してもらうことで安心したいんです。

罪悪感:ごめんなさいと謝ることで、相手にだいじょうぶだよ!氣にしてないよ!って相手とのつながりを確認し、安心させてほしいんです。

わかりますー?全部の感情調べてないですけど、多分全部安心したいんです。

もうすぐインドネシア。リトリート前にいろいろ調整入ってる感満載!出さねばならないものは全部出します。ってアファメーション書きすぎてめっちゃ出さされますわ。

じゃあなぜわたしたちはこんなに安心できてないんでしょう。それはなぜなら、得体の知れない分離感があるからだと思っている。わたしたちが住むこの地球という三次元物質世界は分離という幻想をベースに運営されております。さていったい何から分離したんでしょう。

物理次元でいえば、生まれる前、おかあさんのお腹の中にいたわたしたちは完全に安心していたはずです。もちろんそこにおかあさんの感情の影響はあります。おかあさんが不安でいっぱいだったらお腹の中は安心できる場所じゃなくなっちゃいます。でも、本来衣食住が保障されてるお腹の中は完全に安全な場所です。そこから飛び出して、この未知の世界へ生まれ出ること自体が分離の始まりで、わたしたちはそもそも得体の知れない不安と共に産まれるんだと思います。

でも、その不安を感じさせないためにおかあさんの無条件の愛があります。そしておかあさんが赤ちゃんを安心させるためには、おかあさん自身の安心感が絶対的に必要で、それを与えてくれるのは、生活の基盤を整えたり、おかあさんを守る役割を担う赤ちゃんのお父さんでもある夫という存在です。で、ま、ここから簡単にいうと、その安心の連携プレーがさまざまな理由で機能不全に陥り、おかあさんは安心できない→赤ちゃんも不安。っていうところからわたしたちの不安感はどんどん強まるんじゃないかと思う今日このごろ。

そしてこの分離感は物理次元だけで起きていることではなく、わたしたちの魂のレベルでも起きていることです。わたしたちはほんとうはすべての存在、物質とひとつだといいます。ある時、そのひとつの意識が「ひとつじゃなくなってみたらどーなるんだろ」って分離してみたのがこの世のはじまりだといわれてます。

そういうレベルでわたしたちは分離の不安という感覚をずーっと持ってるんだけど、同時に、ほんとは分離してない、ひとつだった時の安心感も持ち合わせてるはずなんです。わたしはたぶんその根源的な安心感のエネルギーを垣間見る瞬間がたまにあって、その安心感といったらほんとに最高に安心できるエネルギーで、これさえあればもう何も問題ないじゃん。って思えるんですが、その感覚はいつのまにか指の間をすり抜ける砂のように消えるし、またふとした瞬間に戻ってくる、を繰り返しております。

ただし、ひとついえるのは、だれもがこの根源的な安心感を持っていて、その安心感にたどり着くにはも〜徹底的に感情を浄化していくしかない!!ってことです。わたし13年くらいそれやりまくったらようやくちょっと出てきたから。なげー。

4月から、1年間かけて浄化してくコース始まります。いろんな協力者も現れ、唯一無二な最高におもしろいセミナーが始まりそうで、今日瞑想してたらめっちゃわくわくしてきたわ。たのしー!!

でわまた。

究極のサーフハット再入荷しました

5色、S M L 7920円
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