坐禅〜だれもあんたに審判は頼んでない








昨日の夕焼けは久しぶりにキましたわね!

空の色見ながら補正したのでほぼこのままの色!

さて。坐禅ではもっとも大切なことのひとつとしてジャッジを手放すということを教わります。すわりながら聞こえる音、皮膚が感じること、見えるもの(坐禅は目を開けて瞑想します)はもちろん、次々浮かんでくる思考のすべてに、「よい・悪い」の判断をせず、そのまま眺めつづけるのです。

これをずっとやってると氣づくのが、わたしたちの日常生活がいかによい・悪いの価値判断、つまりジャッジで埋めつくされてるか。それは特に人間関係で起こりやすいし、起こりやすいというかそれが起きてない瞬間はないほどつねにジャッジしつづけてる。

ジャッジするってどーゆーことかっていうと、それはよい・それは悪いという判断。それだけのことなんですが、その判断を下した瞬間に感情が沸き起こります。「それはあかん」とジャッジしたら、付随する怒りだったりかなしみだったり不安だったりといった感情が出てくるんですが、その感情の扱い方を誰からも教えてもらったことがないほとんどの人間は、死ぬまでその感情に翻弄されて生きてます。大変ね。

その価値判断という行為自体にもよい・悪いはないんですが、ジャッジしつづけてると、一生感情に支配されっぱになりますし、しかもその判断基準は人それぞれ違うので、その違いが原因で人間関係に問題が起きるわけです。あんたは良いと思ってるらしいが、わたしはそれはあかんと思う!!ということになる。

感情がわき起こった時の対処方法をわたしは知ってるのでなんとかなりますが、方法を知らなくて感情とうまく付き合いたいと思うなら、とにかくジャッジするのをやめることです。ええも悪いもない、そのままにしとけばいいだけ。そしたらあの嫌なざわめく感情は出てこないんです。

●●さんはこんなやつだからダメ
●●ちゃんってどうせあーゆーやつでしょ

って、誰に対してもやってる。やってるでしょ?つねに。誰に頼まれてその審判してんすか(笑)。●●さんからしてみたら、誰もあんたに審判やってって頼んでないし。ってな話なわけですよ。しまいには「あの人はつねにジャッジしてる」という審判まででてきますから(笑)。

そして自分の謎の審判基準により、アウトー!ってなって、結果自分がイラついたり悲しくなったり、最悪のパターンでは審判頼んでもいないその相手に
「おめーは●●だからサイテーだ!!」
「そんなことやるおめーはほんとにサイテーだ!!!」
ってぶち切れたりするわけですが(笑)。

んー。くだらない。なんともくだらない。頼まれてない審判やめればいいだけなんですけどね。頼んでませんからだれも。勝手に審判役買って出て、勝手にアウトにして勝手にキレるという、ハタからみたらただのキ●ガイです(笑)。

そう、世の中ほとんどがこの機能不全に陥ってる。無意識に生きてるからだれも機能不全に陥ってることにも氣づいてないし、その機能不全同士がつねに戦っているという、もうほんとにまったく意味不明な世界が繰り広げられてる。

それは自分の内側で自分に対してやっていることでもあり(こんな自分はダメとかね)、自分に対する無意識な審判から広がって一番ターゲットになるのは家族でしょうし、さらに広がって会社の同僚や所属するコミュニティ、国、そしてこのカオスな審判ごっこは地球全体に影響を与えてる。

結局、誰かを傷つけるエネルギーは相手を確実にエネルギー的に傷つけますので、それが長くつづくとその人は病氣になったりします。黒魔術みたいなもんなんですが、そのエネルギーは当然自分も傷つけてることに氣づいてない人が多すぎる。相手のどこにイラついたのかをよく観察すると、じつは自分もそんな一面を持っていることに氣づくことが多い。自分で自分にアウトー!!って言ってるのと同じだということに、どこかで氣づければいいんですけどね。ほとんどの人間は氣づかないまま死んでいくわ。

残念さん!!

暑いねしかし。家から出たくないわ。

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ジャングルリリーは完売サイズもでてきてます。わたしは圧倒的にブルーバナナ派ですが。これからのシーズンはウェット脱いで身軽なサーフィン。
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