愛されたいの顛末








ウェストがゴムじゃないパンツ&スカートの必要性は、もはや、ない。

こんばんわわわ。

決断を!!と迫った昨日のブログですが、どうやらこれから水星が逆行?するらしく、じっさいに行動に移すのは逆行終わってからのほうがいいみたいっす。ま、水星の逆行ってなんのことだかほぼわかってませんがw 逆行いつまでつづくんだっけな。しばらくつづくっぽいよ。数週間?

さて。昨日のブログに関連して出てきたキーワードがございます。それは「自分のために生きる」でございます。っていうか、これ、まぢ最近のビッグキーワード。あらゆる人に考えていただきたい。

みなさま!ご自分のために生きていらっしゃいますか?わたくしが見渡すかぎり、本当の意味で自分のために生きている人って激少ない。どちらかといえば、人のために必死に生きてる人の方が多い気がいたします。

人に奉仕するのはすばらしいことですし、何かやってあげて喜んでもらえたらそれは最高の経験にちがいないんですが、奉仕の度が過ぎて、もはや自分の人生を生きてない人、けっこういるよね。相手の人生のために生きてるみたいな人。尽くして尽くして尽くしすぎて、本人すっかりお疲れ!!みたいな。

自分が本当にやりたいことを放置してまで、だれかに尽くす意味などどこにもない。もし、私がそういう人に尽くされる立場だったら、相手が本来の生き方を犠牲にしてまで私につくしてもらっても、私はまったく幸せじゃない。

おっと。ここでひとつ大切なことがある。奉仕がその人の真の喜びであり、やりがいであるならば、その人は自分の人生を生きてることになる。たとえば、親の、子供に対する無償の愛は、そういう真の喜びのひとつだと思う。マザーテレサレベルじゃないとなかなかそうはならネ。

たいていの場合、奉仕の裏には見返りを求めている自分がいるもんだ。意識的にしろ、無意識にしろ、人間って、だれかに何かをやってあげたら、感謝されたいし見返りがほしいものだ。そして、「無意識」のうちに、感謝されるためにやってあげてる場合が多いんだなこれが。

そして、さらに残念なことに、頼んでもいないのに勝手に尽くされてる方は、尽くされていることにさえ気づかないことも多いので、そうすると、尽くし側が「無意識」に求めるレベルの感謝をお返しできない。すると、意識的な世界で、尽くしている方は、「わたしはこんなにやってるのにどうしてあの人はーーー!!!」ってなるんですねw

それって、人のために何かやってるんじゃないんですけどw
感謝されたいだけじゃね?褒められたいだけじゃね?

わたくしの人生の指南書、セドナメソッドによりますと、人間には4つの核となる欲求があります。それは、
1.コントロールしたい欲求
2.認められたい、愛されたい欲求
3.安心と安全を感じていたい、生存したいという欲求
4.他人とはちがう、特別でありたいという欲求

で、無意識な状態でのわたしたちの言動の根っこを探ると、かならずこの4つに分類することができるそうなのです。
で、この中の「認められたい」&「愛されたい」は、人間の根源的な欲求ではありますが、特定のだれかから愛されるために、自分の生き方を放置してまで尽くすのは、本末転倒だ。愛されたいなら、自分で自分を愛せばいいのだ。他人から認められなくても、自分で自分を認めていれば、それは最強の愛にちがいない。その認印は他人からもらうヤツよりすごいハズだ。

自分が自分を認め、愛していなければ、どれほど他人に尽くし、認めてもらおうとしても、残念ながら「やっぱ私って愛されていないし、だれも認めてくれない」という現実ばかりが目の前に現れるハズだ。自分以外の誰かに愛されたい欲求の顛末は、愛されていない現実なのだ。昨日のつづきだけど、本来の自分を生きるとは、自分を認めることにほかならないのだ。

なんちゃってww