アーモンドをぽりぽり食べてたら、一個デスクの下に落ちた。拾おうと思ったけどみあたらない。と思ってたら今一番恐れていたことがおきてしまった。椅子の車輪でガリゴリっ!と粉々にすりつぶしてしまいました。こんにちは。今日はちょっと長めです。
先日たまたま見たテレビ番組で、南米のどっかに住んでる原住民の、超絶原始的な生活を追ったドキュメンタリーがやってたんです。部族全員がしきりのない屋根だけの大きな円形の家?みたいな集落でくらしてて、とりあえず全員まっぱ。男も女も腰布巻いてるだけ。まあたまにわたしも風呂上りにおなじスタイルになってることありますが。わたしがまず気になったのは、女のおっぱいが全員超垂れてること。やっぱブラジャーしないと垂れるの?乳首が全員真下むいてた(笑)。
で、番組の内容。断片的にしかおぼえてないんですが、
■何をするにも、女だけにはしない。男は女を守る。男は狩りにでかけても、かならず数人は集落に残って女を守る。
■人間が生まれると嘆き、死ぬとよろこぶ。なぜならこの世は試練だらけ、あの世は平和だから。
■病気は部族のシャーマンが祈って治す。
■一万年以上前からおなじ生活スタイル。これを変える気はまったくない。
■一夫多妻。仕切りがない集落に全員住んでるから、まあ夜の営みなどはつつぬけ。
そんな感じで、とにかくワイルドってこと以外は中途半端な情報しか覚えておらず、ネットで調べてみようと思ったんですが、なんせ、キーワードとなるのが南米奥地の原住民。ってことだけ(笑)だったんですが、調査したところ、たぶんまちがいなく、この人たちでした。
ヤノマミ族
アマゾン熱帯雨林からオリノコ川にかけて広く居住している南米先住民族の一部族。狩猟と採集をおもな生活手段にしている。「ヤノマミ」とはヤノマミ語で「人間」という意味である(from Wiki)
で、調べてみてさらに分かったワイルドなこと
■出産は森の中で女だけでおこなう。
■出産したら、その場で精霊のままあの世に返すか、人間として育てるか決断をせまられ、あの世に返す場合は、殺してバナナの皮につつんでシロアリ塚にほうり込んで、シロアリに食べつくされるのをみとどける。これで増えすぎる人工を調節してるという話。
■母といっても、だいたい14-5歳で子を産む。もちろんあの世に返した子を思って母は嘆き悲しむ。
■100以上の部族があるが、部族間の戦争状態がずっとつづいてる。
■漆黒の夜には50センチメートル以上の巨大なムカデが這いまわり、用を足す森の茂みには、かまれれば2時間で死ぬ毒蛇がひそんでいる。
で、この番組をみながら、思ったわけです。
ここで生きろと言われたら生きることができるんだろうか。と。
取材のクルーは、ヤノマミ族の男が裸足で軽々とヤシの木にのぼるのを真似ようと、ヤシの木に行くまでに、裸足でイテッ!って言ってた。まあまちがいなくわたしもそのクチです。たぶん、おしっこしにいって、巨大ムカデにかまれて死ねる。
わたしは、とくに都内で、すごい人ごみと狭い空のなかを何かに向かって突進してる人の流れを見ていると、なんだか夢をみてるような気分になることがある。で、ここも太古時代には深い深い森だったんだろーなあ、とか、都会が緑でボーボーになってるところとか妄想してると、だれかにぶつかって怒られる。的な。たまに、ほんとにジャングル的なところに引っ越してしまいたいという衝動にかられる今日この頃ではありますが、実際できるかっていったら、ムリにきまってるなー。虫きらいだし。
アフリカのかなりワイルドな部族も携帯電話をもってるこのご時世、文明とはなんだろうと考えるわけですよ。「進化した」とわたしたちが思っているこの文明と、あのヤノマミの超原始生活。良いも悪いもない。わたしにとっては東京の狭い空が現実だし、ヤノマミの人にとってはあれが彼らの現実。彼らはぜったいにこっちに来たいと思ってないだろうし、わたしも彼らの生活ができるかって言ったらたぶんムリ。ああでも、生まれがヤノマミだったらな。とは強く思いましたけど。
彼らはとても人間的でした。丸裸ないでたちのように、人間むき出し。人間とは本来ああいうものなんだろうと思います。わたしたちが「動物」とよぶ生き物たちと、そのワイルドさにおいてあまり変わりはない。すべては精霊だというとてもスピリチュアルな考えにもとづきながらも、部族間の闘争は絶えないというあたりとかも人間的だと思った。太古の人間。だって、一万年以上前からずっとあのままなんですよ。いや、そこがすごい。マジすごい。ぜったいに変えないというそのスピリットがすごい。世界中がこんなに便利を追いもとめる中、かたくなにあの様式を守り抜くことがハンパない。一万年以上前の人間はみんなだいたいあんな生活だったはず。世界遺産だね。あれは。絶対になくしちゃいけない。のに、彼らの居住地区に金が発見され、鉱山業者との対立からヤノマミ族の大虐殺が行われたなんてニュースもみつけた。どーなってんの、ホントに。
もはや何がいいたいのかよくわからないことになってきましたが、ただただ、あの映像を見て、ほんとにいろいろ考えさせられたってだけなんです。生きるってなんだろ。人間ってなんだろ。文明ってなんだろ。死ぬってなんだろ。
先日ともだち3人で都内でごはん食べてました。話題はおのずと『なんでこんなおかしな世の中になってんだろう』ってハナシに。そしてなぜおかしい世の中になってることに気づかない人がこんなにいて、情報はあるのに気にもしない人ばかりなのかって話です。
ごはんを食べながらまわりをみわたすと、空をさえぎり、風の流れをさえぎり、太陽と星をかくす巨大なビルばかり。なわけで、それをながめていた全員がしみじみと、
「でもさ、こんなのに毎日囲まれてたら、おかしくなってることに気づけっつうのがムリかもね。上司が気に食わねえとか、あいつがヤだとか、あれしなきゃ、これしなきゃとかそういうことの方が大事なわけでしょ。」
って結論に至った。そして、やっぱり、自然とふれあってないと人間が本来もっている野生の直感的な感覚がどんどんなくなっていって、一方でサーフィンしてると、都会に住んでようが田舎に住んでようが、自然のうつりかわりに超敏感になるし、そうなると”なんかおかしい”的な野生のカンもとぎすまされていくんじゃないかってことなったんです。どうでしょう。わたしもじっさい4年ほど都内で毎日働いてたことがあるから、いかにあの都会の流れにのまれて、気づいたら毎日酔っぱらって終わってる、って状況におちいってしまいそうになるかもよくわかる(笑)。
わたしはサーフィンしかしてないのでアレですが、どんな方法でもいいんです、常に自然と向きあってる人っていうのは、そういう直感みたいなのがどんどんとぎすまされると思う。人間はもともとこの自然のほんの一部でしかない。のに、そこからすっかり切り離されてコンクリートに囲まれてるっていう毎日は、いいのか悪いのかっていったら、絶対的に、意識的に自然と接してる人間の方がずいぶん人間らしい生活ができると思うし、そういう“なんか変!”っていう野生の勘がパワーアップするから、いろんな意味で人生の危機回避もできると思う。
つうわけで、ヤノマミになれることはないかもしれないけど、自然の一部である人間として、だれもができるだけ自然とセッションする時間をとってほしいと、わたしは切に願うのでございます。これ。めちゃめちゃ面白いからぜひご覧を。
[youtube width=”600″ height=”420″]http://www.youtube.com/watch?v=JoDKfS17vzk[/youtube]
参考
http://blog.livedoor.jp/iiotokoiionna/archives/51735565.html
http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-130.html
http://business.nikkeibp.co.jp/welcome/welcome.html?http%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Farticle%2Flife%2F20110722%2F221625%2F