農業は子供の病気がきっかけではじめました
わたしが農業をはじめたきっかけはにんにく。子供が全員ぜんそくで、2歳までに6回くらい肺炎をおこして。病院へ行ったのに帰ってきたら肺炎になっていたの。それまで薬にばかり頼ってきてたんだけど、急に、これじゃだめだってひらめいて。熱も40度くらいあったんだけど、氷でリンパを冷やせっていう直感みたいなのがきてね。冷やす場所も全部なんとなくわかって、それやったら次の日には熱も下がって治っちゃった。
なにより基本的に子供たちの体が冷えてることに気づいて、体温上げれば病気にならないというわけで、とにかくにんにくを買って食べさせまくった。にんにくは体温あげるでしょ。保育園には臭いからやめてくれと言われたけど(笑)。時期をおなじくして有精卵を育てるために烏骨鶏も飼いはじめた。自分のところで出る生ごみをエサにミミズを育てて、茅ヶ崎の家で烏骨鶏10匹くらいを放し飼いしてた。もちろんにんにく卵黄なんてまだ知られていない時代で、それを食べさせていたら子供たちがどんどん治っていった。
19歳で飛行機はファーストクラス、家にはメイド。アルコール三昧サーフィン三昧の毎日と臨死体験
わたしは10代のころからいろんなビジネスをやっていて、ずっと自営です。商売をつぎつぎと起こして周りを驚かせたり喜ばせる役目があったんだって感じてます。オーストラリアに留学してた時には、何百万円もつかって高級レストランに通ったりしてね。おかげで食べるということについてとことん勉強できたし、今の仕事ができるのもそうやって食の勉強をしたからではあるんだけど、最終的には親が怒っちゃって(笑)。そうすると自分でなんとかしなきゃならないでしょ。宝石の採掘場を持っている知りあいがいたんだけど、直接安く買って、日本で加工して販売する商売をはじめたの。末端価格何千万のオパールだったんだけど、若い女の子が商売してるって御徒町の宝石街で噂までながれてた。
お金がつきてくるとまた新たな商売をはじめたんだけど、バリでエスニックアイテムをつくる商売をはじめたらこれが大当たり。19歳で飛行機はファーストクラス、家にはメイド。グルメ三昧、ショッピング三昧、サーフィン三昧という快楽追求型の毎日を送ってたある日、サーフィンやっていたら心臓発作になってしまった。20になるかならないかのときで、当時は寝ないで遊んでたりしたからだと思うんだけど。(もうだめだ、死ぬな)と思ったときに臨死体験みたいなのをしてね。自分がどんなエネルギーを持っているかとか、自分の欲深さとか快楽とか、いままでのすべてを見せられた。私にとっての地獄が見えて、死んでわびなきゃならないと思ったんだけど、そう思えたら、古い自分と決別できた気がした。あの体験でわかったのは自分の命は遊んで消耗するモノではないっていうことと、日本のためになる立派な子どもをたくさん産み育てなきゃ、ということだった。
その直後、すごく真面目な男性とスピード結婚することになって、25歳で出産したんだけど、その子が生まれて3日目に心肺停止してしまった。髄膜炎だったの。死ぬか脳性まひか植物人間かって言われて、そのときバリでの豪遊生活や昔のことを思い出して、あんな生き方をしてきたからこんなことになったんだ、死なないでほしいという一心で半狂乱になってた。「わが子の命を奪うなら、神様とも戦ってやる」って、ものすごい、魔物のような母性が自分から出てきて、このとき、この子の命を助けてもらうために今までの生き方を反省し、いままでとはちがう自分、そして母としてまっとうな人間として生きる誓いを立てた。
自分の光で暗い場所や他の人を照らすことができるようになる
そんなことからかな、病気になったら普通は病院にいくんだろうけど、わたしの場合は、子供を死なせてたまるか、自分でなんとしてでもなおしてやるという思いが強くて、そこから農業につながったと思ってる。誰にもたよらずに自分でやろうっていうのがすべての始まりだったかな。やり方がわからないからやらないんじゃなくて、自分で模索し、覚悟を決めれば次の世界へ行けるものだと思うの。人間はね、どうしたらいいかわからないと思った時が分岐点で、それが最大のチャンス。全身全霊で乗り越えなきゃいけない。不安、疑問が浮かんだら、それと戦うことで自分の世界ができてくるし、そうなると何をやっても成功するようになって、いろんな人に力を分けられるようにもなる。自分の光で暗い場所や他の人を照らすことができるようになる。
今までは男性の時代だったんだよね。女性の時代ではなかった。大昔、女性が力をもっていた時代もあったけど、文字や言葉が登場して、男性が権力をもちはじめると、汚染、戦争、破たんの時代になっていった。でもこれから女性の時代なの。女性が自営業をやって男をのっとっていく時代なんだよ。政治の世界にもどんどん出て行ったほうがいいと思う。
失語症から・・・女性は窮地に落ちれば落ちるほど力を発揮できる
なれないハードな販売接客業をしながら、四人の幼い子供の看病をして、35になったあるとき、急に口がきけなくなったの。しゃべれないし文字がわからない。文字を見てもなんだかわからないわけ。数字だということはわかるけど2がどういうことかがわからない。完全に壊れちゃったのね。魂を変えなきゃってがんばっていたけど、10年目にして倒れた。42度くらいの熱が2週間くらいつづいて、水も飲めないし動くと吐き気と頭痛、寝ると悪夢を見る日がつづいた。
そんな私を見た兄が、このままでは廃人になってしまうっていって、少しうごけるようになったときに、広島の山奥にある禅堂にいくことにした。で、その禅堂で、なんとかやっと座れるようになったあるとき、急にありとあらゆる感情がばーっとでてきて。つらいんだ、悲しいんだ、れ以上我慢できないんだっていう感情。
そのあとさらに山の頂上のお寺に行くことにした。そこにはアメリカ人のお坊さんがいて、60歳くらいだったかな。2週間そこに泊まったんだけど、わたしはそこで魂と自分を取り戻しはじめて、あの経験のあと農業をはじめることになって、ずっと寝ずに仕事をしてたな。
人生ってすばらしいんだよ。とにかくいちばん大事なのは自分を生きること。女性はみんな女社長になればいいと思う。今の時代ぜったいに失敗しないから。女性は男性より魂が強いからだいじょうぶなんだ。窮地に落ちれば落ちるほど力を発揮できるから。
有機有機ってもてはやされはじめたけど・・・
最初は有機でやってたんだけど、やりかたわからなくて。そんなとき、木村秋則さんの講演会を聴く機会があって、肥料なしでできるんだって知ってから自然農にうつった。土が変わるのに2年かかって、その間も収穫できないことはないけど取れる量がだいぶ減ったかな。いま、有機有機ってもてはやされはじめたけど、じつは有機も100%なわけではないの。有機JAS以外は無農薬と言ってはいけないんだけど、有機JASは農薬も化学肥料もつかっているんだよ。有機がもてはやされてるのも、無添加、無農薬がなかなか出回らない原因になってるしね。
一反に4-8トンの肥料を入れるんだけど、遺伝子組み換えとうもろこしを牛が食べるでしょ。その牛糞を有機肥料としてつかってるの。牛はホルモン剤、抗生剤も打ってるしね。その糞プラス、土に化学肥料より悪いと言ってもいいくらいの塩素をまく。スーパーに売ってる有機野菜は高く売れるから増えてるけど、こういうことを知って有機を選ぶのは自由だとは思う。ただ、わたしは母として実体験したことなので、アレルギーやアトピーがある子供にはおすすめできないです。
わたしは今は無肥料でやってて世話は水をあげるだけ。タネは自家採取。最初は普通の固定種の苗をかったり、もらったりしてた。タネも苗もじつはF1はあまりないの。ほとんどが固定種。ホームセンターで売ってるのも7-8割は固定種なのに、それを、F1だからこっちを買ったほうがいいとかやってる人も増えてるよね。小さな種屋さんに行って聞いてみればわかるよ。F1は特許だから大手以外は自分でF1なんてつくれない。ちょっと調べればすぐわかることなんだけどね。言われたままにすべて信じるクセをつけられてるんだよね。
女性が強くなれば世の中がよくなると信じてる
やっとビジネスとして動き出したのが40代。わたしが10代のころやってたビジネスなんてまだまだビジネスじゃない。今、農業は男性スタッフにやってもらっていて、わたしは講演活動なんかで女性の自立を助ける活動を中心にやっています。わたしもさんざん騙されてきたけど、女はすぐにだまされちゃうからね。固定種はここしかないよ。って言われたら買っちゃうでしょ(笑。だけどみんなでつながってればそういうこともできない。だからつながりを大切にしてるの。
女性は自立してなんぼなんだよ。これからはぜったいに女性の時代。理詰めの男たちよさようなら(笑)。男も女も、もともと女性から生まれてから生まれてるでしょ。女性は完璧なの。女性がぴかぴかになると、近づくだけで出世しちゃう男性っているでしょ。だから早く自立して光り出すとモテモテになるの。男性は意外と頭のいい女の人好きだから。女性からエネルギーをもらわなきゃ生きられないってわかってくるとそういう女性を離さなくなるんだよ。わたしは女性がつよくなれば世の中がよくなると信じてる。
Interview/Photos by Eri Nishikami / Aya Taue
Special thanks: Yuri Kobayashi