3月11日への謝辞








あまりにも衝撃的なできごとがあった日って、その日のその瞬間になにをしてたか覚えてませんか?わたしは阪神大震災、911、311になにをしていたか鮮明に覚えています

阪神大震災は前日夜に、留学のためハワイへ飛び立った。チェックインのとき、フロントのお兄ちゃんに神戸で大地震があったといわれ、「NO NO NO 神戸は地震ないよw」って言って、部屋でテレビつけたら、いつも使ってた阪神高速が真っぷたつに折れてる映像が目に飛び込んできた。911は大学時代の友達と電話で話しながらテレビ見てたら、速報で、ビルに飛行機が突っ込む映像がいきなり流れてきた。そして311もハワイ。友だちの家で晩ごはん食べてたら、友だちの旦那から、「日本が大変なことになってるからテレビをつけろ」と電話が。テレビつけたら、巨大な津波がどこかの街を飲みこむライブ映像が目に飛び込んできて、全員口開けたまま固まった。

こういう衝撃的なできごとは、それぞれのタイミングで、特定の人にとっての目覚まし時計のような役割を持ってると思うのですが、二度寝三度寝が得意なわたしの目を、ようやく覚ましてくれたのは311でした。

あの日がなければ今のわたしはいない。地震に原発事故という、ありえなくはないけど、あまりにも衝撃の組み合わせのおかげで、日本人という人種の力強さとあたたかさ、そして世界がしっかりつながっていて、この世はこんなにも思いやりにあふれた場所なんだ、ということに心から感謝する機会を与えてくれたいっぽう、国や政治がどんなシステムの上に成りたっているのかと、この世のカオスっぷりにも気づくことができた。

あの日からの意識の開いていくスピードはとにかくハンパない。そのスピードはあれからどんどん加速してる。ありとあらゆる情報が入ってくるし、考え方を180度×10回くらいひっくりかえされることがいっぱいです。そして、わたしのまわりには、どうやら同じような感覚でこの数年をすごしている人がたくさんいる気がする。でも、ちょっと自分のネットワーク外をみれば、残念ながらいまだに意識がぴったりと閉じたままな人の方が圧倒的に多い気配。

あんな衝撃的なことがあっても、まだ311以前の生き方ができるって、ホント、「天下泰平」とはあたしのことじゃなくてあんたのことだよ。と言いたくなる人がいっぱいだし、きっと、あれくらいの衝撃じゃ足りないわけで、もっとすごいことが起きる可能性は多分に残されてるな、と思う今日この頃。人間は、学ぶまで学ばされますから。

ただ、あれから4年。思い返して今わたしが感じるのは、感謝しかないのです。あくまでも、わたし個人の観点からの話ですが、あの日のことはすべてわたしの意識を覚醒させるために起きたような感覚なんです。被災者の生活の改善も、原発も、問題はなにも解決されていないけど、解決するには、ひとりひとりの意識を変えること、それしか方法はないってことが、この4年でわかった。

どんな政治家を選ぼうが、けっきょく、ひとりひとりの心の中に争いや憎しみがあれば、世の中は変わらない。それがいまの日本であり世界の様相。自分の外側で今何が起きているかを見れば、自分の心の中で何が起きているかが観えてくる。つまり、いまこの瞬間、世界中の人の意識が瞬間的に、100%愛のかたまりでしかなくなったら、戦争も原発も環境汚染も一瞬にして、文字通り消えてなくなると思う。意識の力ってそれくらいパワフルなハズなんです。ひとりひとりの心に、ほんとうの意味での平和が訪れたら、この世の問題はすべてなくなる。

そんなことに気づかせてくれたのがあの出来事でした。私にとってはね。こんなに簡単なことなのに、なかなかにむずかしい。どうすれば、心に簡単に平和をもたらすことができるか、そしていかにそれを伝えるかは永遠のテーマだな。だからこそ、こうして日本中の人が、今日という日に意識をひとつにすることは超すばらしいことだと思うのです。わたしたちの意識を目覚めさせるために命を捧げてくれた方々のご冥福を祈りつつ。ありがとう。

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