サーフィンはオリンピック競技になり得るか。








この間の香ちゃんのブログを受けてのブログです。
香ちゃんのブログは読んだ?⇒『怒られるかもしれないけど』
香ちゃんがまだ試合に出てた頃のブログもとても興味深い。
「この何日間か私が一番思ってるのは、「オリンピックの中にサーフィンが無くて良かった」って事。もちろんオリンピックの種目になれば認知度も高くなってお給料とかもあがるかもしれんけど…でもサーフィンしない人とか、本当の波乗りの楽しさを知らない人から色々言われるのだけはイヤやなぁ…って。」

このブログを読んで真っ先に思ったのは、心配しなくても、多分サーフィンがオリンピック競技になることはないだろな。ってこと。

あるスポーツがどれだけ大きくなるか、そのスポーツの選手になることが仕事になるか、はスポンサーがつくかどうかで、スポンサーがつくには、多分、勝ち負けが明確に分からないとだめなんですよ。サーフィンに明確な勝敗をつけるのって絶対に無理。あるサーファーを対象にした評価は見る人によって全然違うし、すごい技が出来るサーファーがいても、その技に10点はあげられるかもしれないけど、あんまスタイリッシュじゃないわ。と私なんかだったら思っちゃうわけです。

そういう意味ではゴルフとか野球とかサッカーとか、点数が明確な競技は大きく成長していきますね。点数つけにくいレベルではフィギュアスケートとかも難しそうですが。いつも揉めてるもんね。じゃあなんでフィギュアはスポンサーがついてサーフィンにはつかないのか、と言われれば、良くわかんないんですが。歴史かしら。業界を持ち上げてくれる有力者がいないから。かしら?スノーボードはどうなんでしょうね。私はやったことないので何とも言えないんですが。雪系のスポーツはタイムで競ったりも出来るからやはり違うんでしょうね。

さて。勝った!負けた!で国民全体があんなに興奮してくれるところにはお金が落ちる。じゃあなんで、オリンピックをはじめ、国を挙げて競うことがあんなに盛り上がるのか。どこかで読んだんですが、スポーツって、戦争の代わりに成長したカテゴリーなんだそうですよ。人間って根本的に勝って良い気分を味わいたい生き物なんですが、戦争ばっかりしてると野蛮すぎるので、代わりにスポーツでその欲求を満たしているんだそうです。ま、おバカな人間はくだらない戦争も未だ必死にやってはりますが。 つまりですね、何が言いたいかと言うと、サーフィンって、その本質が勝った、負けたの世界とはあまりにもかけ離れすぎていて、だから香ちゃんみたいな人間は、「でも私はコンペで勝っても一回も自分は幸せやぁとか思ったことない;(ホッとするけど)」。 ってなるんじゃないかと思うわけです。

だから、残念ながら、サーフィンが、日本の野球に取って代わる時が来るかと言えば絶対に来ないし、それで良いのではないかと思うんです。スポーツとして表現する方向性が違うので、その方向を、勝敗ではなく、違う方向に向ければ良い。既にそこを理解している人たちが、サーフミュージックや、サーフアートっていう新しいカテゴリーで活躍しています。

死ぬほどサーフィン上手なのに、試合になると全然勝てない人がたくさんいますが、そういう人にとって、勝敗はどーでも良いことなんだと思います。日本の腰サイズのビーチブレイクで試合している間に、どこか暖かい南の島で誰もいないパーフェクトなポイントで波乗り出来るなら、そっちを選ぶ人たち。 私は根がアンチ試合派なんでこんな話になっていますが、まあサーフィンする人にも色んな人種がいますから。試合で勝つことで最高の自分を表現できる人もいるだろうし。でも、根本的にサーフィンが競技中心のスポーツになることはありえないと思います。だいたいスポーツじゃないんです。自己表現のツールというか、なんでしょうね。不思議なカテゴリーにあるのです。

ただですね、香ちゃんがすごいのは、チャンピオンにまでなった上での発言ってところです。試合はたった1回出ただけで、周りの威嚇っぷりにしっぽを巻いてそれ以来NOコンテストな私が何を言おうと説得力ゼロですが。香ちゃんの発言には説得力があります。私がサーフィンの試合を主催するなら、勝敗を決めるのは拍手の大きさですかねー。どれだけ観客を感動させることが出来たか。みたいな。そういう意味ではサーフィンってやっぱりダンスに似てますね。