サーフィンからの学びがあまりにも大きすぎる件について








今朝は、体が「そろそろ休んでいただけませんか!!」ってゆうてた(笑。まぢ、波がなくならないから、放っといたら一生サーフィンしてる。無理やり休まないと、休めない。なんて贅沢な悩みだ。すばらしすぎる。やっぱ冬の間は日本から消えることに決定だ。

わたしはいつもブログで海の中のめんどくさい人間模様について文句ばっかり書いてるけど、サーフィン復活宣言してたErieがおなじこと言ってた。サーフィンから離れた理由その一は人間がめんどくさいこと。その二はデカい波が怖いことだと。

そんなことを考えてたら、サーフィンってほんとに、ありとあらゆる感情を感じさせてくれるフィールドだと思った。喜怒哀楽すべてをワンセッションの中で感じることさえ可能だ。

かならず変なヤツがいて、キレそうになる。
自分の限界サイズを越えた波にはとてつもない恐怖を感じる。究極の恐怖だ。
デカい波来て飲まれたら・・・って考えただけで不安になる。
自分より上手い人がいれば嫉妬する。
なかなか思い通りいかないからイラっとする。
前乗りされてキレた直後、前乗りしてしまって罪悪感。
けど、いい波に乗れたときのあの喜びと究極の気持ちよさは他ではぜったい味わえない。

とにかく、サーフィンしてると、あらゆる感情がめまぐるしく自分の中を駆け抜けていることがわかる。でも、どれほど揺らいでいる感情も、波が目の前に現れた瞬間にすべて停止する。頭の中が一瞬でからっぽになる。頭も心も体も、細胞という細胞すべてが量子レベルで波に乗ることにだけ集中してる。わたしはこの状態を瞑想状態だと理解している。だからサーフィンは気持ちいいんだ。

わたしはそもそも感情表現が不得意な人だったんですけど、究極にたのしい!!気持ちいい!!というポジティブな感情から、ハイレベルな怒りまで、サーフィンを通して、わたしはじつに感情豊かだったのだなということがホントよくわかったのだ。

最近は普段の生活で感情的にブレることがほんとうに少ないけど、唯一揺らいでるのがじつはサーフィンしてるときだということにも気づいた。大きな波に対する恐怖と不安を乗り越えたり、意味不明なことするバカサーファーへの怒りと向き合わされたり、わたしにとって海は究極に自分と向き合える場所でありまして、自己観察にこれほどもってこいな場所はないわ。

ほんと、わたしにとって海は道場みたいなもんなんだよね。あまりにもいろんなことを教えてもらってる。自分という人間について、自然の移ろいについて、この世はすべて波なのかもしれないということについて、サーフィンしてなかったら知り得なかったことが多すぎるわ。人間として生きることにかんして、誰もがそれぞれの学び方があるんだろうけど、わたしはサーフィンからの学びが大きすぎる。ほんとサーフィンしててよかったと心から思う今日このごろ。あたしサーフィンしてなかったらいまごろ多分死んでるわw