最近久々にブチ切れてる人を見ておもしろかったので。怒ってる人ってまぢで全員「我を忘れる」よねw
わたしはこどもの頃から親がよくブチ切れてるのを見て、あんな氣分の悪ことはやるもんじゃないと自分に刷り込んできたので人生において人前でブチ切れたことってまぢで記憶にない。いや、うそだ。子どもの頃は妹と鬼ケンカしてはブチ切れていた。毎回殺してやろうと真剣に思っていた。(このハサミでぶっ刺したら殺せるかも。いや、さすがにハサミはヤバい。やめとこう)って思いとどまって代わりにつねに噛みついてたw まぢで歯形に内出血するくらい噛みついていた。やってはいけないことだと思っていたから大人になってからは怒りを無理やり抑える人になった。今だったら感じるままに表現できそうなのに、怒ることが99.9%ないから機会がないわ(笑)。
今となってはどうやったらあんなふうに怒りを表現することが可能なのかさえ全くもってわからないけど、みんなほんとによくブチキレるよね(笑)。わりとびっくりするのがわたしの目の前でこどもにブチ切れて普通にひっぱたいたりしてるお母さん。何回も見たことあるけど、その度にわかるのは、ひっぱたいてる瞬間そのお母さんの目の前にわたしはいなくなるということだ。完全に我を忘れて怒りに持ってかれてる。心の中で(こ、こわ・・・)って過去に両親にひっぱたかれまくったことを思い出しながら、その怒りのエネルギーに圧倒されてわたしが怯えるわ(笑)。わたしも子どもの頃よくスリッパでひっぱたかれたわ〜。(素手で叩けよ卑怯者!)って子ども心に思っていたわ。
怒ってる人のエネルギーって強烈です。まず顔面がおそろしいこと(般若の形相!)になってるし、全身から散弾銃のように刃物のようなエネルギーを相手に刺しまくっている。怒りの表現方法には二通りある。かつてのわたしみたいに内側では怒ってるけど怒りを表現できないタイプの人と、感情のままに怒りを表現しまくる人なんだけど、双方とも結局やってることは一緒で、怒りを受け入れられてない&怒っている自分をまったく受け入れられてない。
すべての怒りにおいて、怒っている方はほぼ100%相手が悪いと考えている。ここが100%間違っていることにまず氣づかなきゃならない。こどもがとっ散らかっているから怒ってしまうという親は多いと思うけど、こどもじゃないから。とっ散らかってるのは自分だ。そんなあなたを子供という存在を通して子供が見せてくれてるだけだから。結局のところ、怒りのエネルギーって世代を超えて持ち越しているもので、そのカルマを解消するために親子を演じているケースがめちゃめちゃ多いと思う。
同じことをこどもがやったとしてそれに怒りを感じる親もいれば何も感じない親もいるわけですが、人が怒っているのを観察しながらよく思うのが、怒るポイントがほぼ謎!!なことだ(笑)。わたし的にはなんでそんなことで怒ってるのかわからないケースがほとんどで、それは結局のところ親から子へと受け継がれた怒りの連鎖であり、過去生含めた過去にリリースできなかった怒りのエネルギーを抱えたまま、無意識に似たようなシチュエーションを相手を変えて繰り広げてるだけなのです。
子どもは怒られるようなことばかりするから怒るのは仕方ないという。けど、怒りのナイフを子どもに刺しまくることと、しつけとして叱ることはまったく別だ。やってはいけないことがわからない子どもを躾けるのは親として当然のことで、そこに厳しさがあるのも当然だけど、感情を制御できなくなってひっぱたくのは自分の内側に未解決の問題があるからだということを理解しなければならない。それはもちろん子ども相手だけでなくすべての状況にいえること。
子育てしたことないくせにえらそーなこと言うんじゃねえよ。って思う親がほとんどだと思うけど、わたしが10年くらいかけて研究してきたこと全部勉強してみりゃわかるよ。自分の怒りがどこから始まったのか、原初の怒りにたどり着いたら怒りは消えますから。そしてわたしの理論でいくと、怒りを解放できたならば、まず同じことに腹が立たなくなるし、最終的にはたとえば子どもならば怒られるようなことをしなくなるはず。
我を忘れて怒りを相手にぶつけるんじゃなくて、そんな自分にまず氣づかなきゃならない。あとあれですね。怒りの奥には大抵かなしみが横たわっているということも重要だ。氣づけばリリースできる。氣づかないから怒りのエネルギーと同化してしまうのです。我を忘れているのでなかなかむずかしいけど氣づいてないのが問題。意識と感情とはそういうシステムで寿司。
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