サーフィンが上達する人としないひとのちがいはどこなのか?








昨日おとといとお久しぶりに波があって、展示会以来2週間ぶりにサーフィンしたけど、身重w ウェットと寒さとたいしたことない波のせいにさせてもらいたいとこだけど、同じ状況ですばらしくキレのいいサーフィンしてる人はしてるのだ。ま、たいていプロサーファーか若者だけど。何がちがうんだ!!え。すべてがちがうんだよw あーあー。そろそろ暖っかいところで頭くらいのリーフでサーフィンしたいわ〜。って思っちゃったんで4月ちょっと消えてくる!

昨日は海入って仕事して夕方、謎の亀裂が入ってたサーフボードの修理が上がってきたっつーので、世紀のリペアマン(シェイパーだけどね)=The Area 51(いやまぢで、芸術的なリペアご希望ならここでどうぞ)に板取りに行き、腹減った、ご飯作るのめんどくさいからの、おなじみ鵠沼ひな野に行ってきました。ここほんとおいしいわー。ビュッフェだから待たずに食べられるというのがなんともすばらしい!!そして、砂糖抜き3日目なのに、いつもの杏仁豆腐逝っちゃたwダメだこりゃ!


さて、サーファー2人が集まると何の話になるってサーフィンの話になるんですけど、昨日のお題は

サーフィンが上達する人としないひとのちがいはどこなのか?

そういへばこのお題、当のArea 51がだいぶ前にブログで投げかけたまま放置、答えてもらってねえことを思い出した。みなさん何だと思いますか?サーフィンってそもそものセンスの問題もありますけど、どんどん上手くなる人と、いつまでたっても同じサーフィンしてる人がいるものでございます。

わたしはこの質問に対して
「欠点を指摘くれる人がいるかいないかだ」
と答えたんだけど、51的正解は
「指摘されたことを実践するかしないかだ」
ってことでした。

曰く、どれだけ質問して教えてもらおうが、それを海で練習し、実践できなければ何の意味もないということですた。そりゃそーだ。そもそもサーフィンってほとんどの人が独学なのです。プロサーファーになって付きっきりのコーチでもいないかぎり、見よう見まねの独学になるので、ほぼ誰もが”自分のスタイルが正解!”という思い込みのまま突き進むのです。そしてその日は訪れる。自分のサーフィン動画を見るというおそろしい機会を与えられ、自分のオリジナリティあふれすぎるダサーフィンを見てしまう日。そしてだれもがそのあまりのヘッポコっぷりに愕然とするのですwww

写真では体験できない動画の悲しいまでのリアリティw 画像はライディングの一瞬だけを切り取ってくれますので、自分のおそろしくダサいスタイルを徹底的に感じることはできません。ま、画像でもある程度ダサいということはわかりますが、動画で初めてその極限的な世紀末のダサさを理解するのです。ところでダサいって死語ですか?なにはともあれサーファーにとってこれほどのショックはなかなかございません。わたくしも、サーフィンの写真は好きですが、動画は嫌いですww

写真に撮られてもあたしゃーこれが限界だwスープの藻屑となる直前の謎の笑顔。

さて。あなたのそのおそろいダサーフィンを客観的に見て、ここをこうした方がよいと教えてくれる他人がいるならば、あなたは相当ラッキー。修正できる機会はほぼそこしかないと言えるのではないでしょうか。しかし、言われたことを実践する人は圧倒的に少ないというのです。ワザの練習して途中で転ぶより、いい波に乗れたらとりあえず普通に乗って最後までメイクしたい。。。というのがたいていのサーファーの考え方だと。

なるほそー。まあそれもわかるけどね。でも上手くなる人は、自分のクセを認識して、サーフィンするたびに修正を試みる人であり、また、ある技をメイクしたいと思ったら、そればっかり集中して練習する人なのだと思う。ただ、そもそも自分のクセやダサさを認識することがむずかしい上に、それをサーフィンしてる時に思い出せるかってなると、きっと思い出せない。たいてい思い出せないまま普通にたのしくサーフィンして終わってしまうよねー。意識できるかどうかが分かれ道だ。まあたのしければいいという人も多いと思うけど、わたしはできれば一生うまくなりつづけたいタイプなので、だから家でもわりとテイクオフの練習してるけどな!(笑)。

というわけで、わたしのダサーフィンをどこかで見てしまったならば、ぜひとも直した方がいいところを教えてください。ありがたいことに、わたし海の中で教えてもらえることがとても多い。治ってんのかは甚だ疑問だけどな。謝謝。