一重ブス教育の顛末








数日前から巨大なゴキと冷戦がつづいてます。先ほど洗物しようとしたら、ノソノソと登場しやがって、思わず本気の「ギョァーーーー!!!!」出ました。完全におっさんの叫びでした。そしてやつはどっかへ消えた・・・( ;∀;)

さて。本日図々しくもわたしにお題を与えてきた女がいる。が、ネタがないときにはありがたい。与えられたお題目はズバリ・・・・・

「妬み」

です。

妬み=嫉妬=羨望=ジェラシー=うらやむ
言い方はいろいろありますけどね。「妬み」はわたしたちが持つ感情の中でも、もっともやっかいなもののひとつじゃないでしょうか。

妬みと聞いて、わたしがまっさきに思い出すこと。それは子供のころ習っていたバレエ。数年前、実家に帰ったときに写真やらを整理してたら、バレエの発表会のプログラムが出てきた。生徒の写真がずらーっと並んでるんですが、その中の数人の顔に、マジックでバツ印とかブタ鼻が書いてあるんです。なんだろうこれはと思い返してみたところ、どうやらかわいい子にブタ鼻書いてあるんですねw かわいくて、いい役をもらってる子です。

わたしは、美人=良い、ブス=悪いという「美人至上主義」みたいな育てられ方をしまして、しかも、わたしは一重のブス扱いをされつづけましたので、かわいい子が妬ましくて仕方なかったのです。だから、かわいい上にいい役もらっている子にはブタ鼻の刑です。すっごい覚えてるんですけど、極楽鳥の役をもらった子がいて、衣装も本当にうつくしいし、しかも二人で踊って観客の注目を一身に集める演目なのです。いっぽう一重ブスなわたしは、その他大勢、ドブネズミの役www そら、ブタ鼻も書きたくなるわ。

わたしも気を抜くとすぐ人のことが羨ましくなるタイプです。女性で自立して仕事で輝きまくってる人とかかなり妬んでますねw 加えてかわいいと妬み7割増しですよ(笑)。ただ、自分が嫉妬深いことはもはや認識済みですので、以前ほど反応しなくなりましたけど。

↓↓↓↓↓ 妬みマックス。到達不可!!

自分が達成できていないことを達成している人が羨ましいというのは、エゴの特徴的な反応です。エゴはつねに自分のほーがエラいと思ってますので、自分より上を行く人がでてくるとすぐに反応しますね。まあ、親や社会にそういう刷り込みをされてるんですよ。一番になればほめられるし、頑張れば褒められるし、いいモノ持ってると羨ましがられる。他人より秀でてることが正しいという刷り込みされてますからね。仕方ない。

そしてそういう妬みは怒りに変化します。しかも、それはたいてい自分に向けられた怒りになります。「あの人はできているのにできてない自分」や「あの人は持ってるのに持ってない自分」へ向けた怒りに変化しますのでやっかいです。

意識の解放的観点からいえば、妬んでる自分もそのまま受け入れるしかないんですけど。そういう人間なのだから仕方ないと。がしかし、ほとんどの人は、妬みの状態に留まって、ずっと他人を羨んでる。Facebookやらインスタで繰り広げられる、友人の“リア充アピール”に妬みが止まらず、「Facebook疲れる」とか最近の妬み代表ですね。ま、充実したリアルライフをアピールしてる方も「羨ましい!」って言ってほしいだけですし、アピールする方もされる方も、潜在意識レベルにおけるエゴのくだらない攻防でしかありませんがw

でも、言っときますけど、妬んでる間は、例の「妬みバイブス」が出まくりますので、妬まなければならない状態は止まりません。妬みつづけるということは、自分の潜在意識に「わたしは妬みたい」と宣言してるのといっしょですから、潜在意識は頑張って「妬みバイブス」を探し、“妬める現実”と共鳴しつづけてくれます。つまり、願いは叶ってるわけです。妬んでるという状態は、潜在意識にとっては「妬みたい」という願いにほかなりませんから。意識はものすごい単純です。

ひとつ教えてあげるよ。目の前に、相当羨ましい人が現れたら、それは、「Youにもこうなれる可能性がありますよ」ってメッセージでもあるんだってよ。だから、とっとと妬みつくして、妬みから自由になれば、自分もその人みたいになれるかもね。

妬みバイブスなんて出してる場合じゃない。そんなあたしは倍ブスだ。あ、ちなみに、一重は二重になりました。ババアになってハリがなくなってきたらなぜか二重になりました。