旅先で快適にブログアップするために、Mac book airを買ってみたのです。
いままでほぼほぼWindowsしか使ったことなかったのですが、
Apple信者が異様なまでにほめちぎるMac。
どんなにすごいマシーンなのか検証中ですが、いまんところ、唯一の感想は、
コマンドボタン(Windowsのctrl)の位置がおかしいやろ!!
ってことですかね。
A、Z、X、C、Vのショートカットのとき、Macユーザーのみなさんは、
コマンドボタンは何指使ってんのか気になって仕方がない。
右側のコマンドボタンで両手使えってこと??
とくに”A”と”Z”!!指ねんざするわ。
前回のブログで感情デトックスの話を書いたついでに、
さいきんの感情ゴミ出し作業で発見した感情について。
まあ、ゴミではないんですが。
どちらかと言えば「ゴミのように扱ってる感情」でしょうか。
ここではわかりやすく、ゴミと言わせてもらいます。
そのまえに、まず、わたしがどうやってゴミを見つけるかなんですが、
わたしたちは、日々さまざまな感情と向き合っておりまして、
ある感情がわきおこると、同時にかならず体が反応します。
個人的にわかりやすいのは、怒りを感じたときなんですが、
頭に血がのぼった感じがして、心拍数と脈拍が速くなって、あきらかに呼吸が浅くなります。
この感覚を覚えておくことで、ふたたびおなじ感覚がやってきたら、
(あ、なにか感じているな。)って、
その瞬間から感情を客観視できるようになります。
このように感情と自分をきりはなすことができたら、
次に、怒り、悲しみ、不安、恐れ。といった具合に、その感情に名前をつけます。
わたしは、感情に名前をつけることによって、
その感情の正体を明らかにし、自分の中でその感情を消化しやすくなるんです。
が、この名前をつける作業が意外とむずかしい。
最近分析している感情で、その正体のつかみどころがなかなかないやつがいまして。
そいつは、たとえばブログや、なにげない会話の中、
わたしがある立場をもって言ったことをまったく理解してもらえなかったり、
反対意見を言われたり、バカにされたときや、
わたしがよかれと思ってなにかを伝えようとしているのに、
まったく聞く耳をもってもらえない時などに、嵐のように私の中に巻き起こる感情です。
こういう形で情報発信するようになって、かなりの年数がたちますが、
「あんたの言ってることはおかしい」
的なことを言われるたびに、いまだこの感情が繰り返しわき起こる。
繰り返し起こるのは、なぜならまだ私の中で認めてあげていない感情だからなんです。
だから、なんとしてもみつけてあげたい。
明らかに頭に血がのぼって心拍数が上がります。
で、怒りを抱いているのはまちがいないんですが、どうも、それだけじゃない気がする。
なんなんだろう、とかれこれ数ヶ月、いや、数年?分析してたんですが、
最近ようやくこの謎が解けました。
怒ってると同時に感じているのは、
”なんでこの人は分かってくれないんだろう。”とか、
”そこの部分だけ切り取ってわたしの意見だと思わないでほしい。”とか、もどかしい感じです。
で、この、「もどかしさ」の本質ってなんなんだろうとずーっと考えてたんですが、
これ、伝えたいことが伝わらない悲しさでした。
あー!なるほど!!悲しかったんだー!!!
ってわかったとたんに、
その悲しさがドバドバ出てきましたよ(笑)。
なんだったらただ今また出てきたたわ!
あと、すごく不思議な感覚なんですが、
「ああ、またちゃんと伝えられなくて失敗かよ!」
っていうナゾの感覚もいっしょに出てきました。
今生か前世かはわからないけど、つたえきれないもどかしさを抱いたことがあって、
それがずーーーーっと残ってるんですかね。
そして、スペシャル伝わらない相手がもっとも伝えたい家族だったりするので、
そのもどかしさといったら、もー自殺したいくらい(笑。
妹に、「あんたさ、ブログとかでエラそうなこと言ってるけどさ、
いちばん近い家族に伝えられないんじゃ意味ねーじゃんw」
これ言われたとき、ちょードキーーーー!!!っとしました。
妹のこのひとことで、ようやく気づくことができた感情でした。
そんなこんなで、最近は、この伝わらない悲しさをよく感じてあげてます。
しかたないんですよ。伝わる人には伝わるし、
伝わらない人にはなにをどーやっても伝わりません(笑)
人にはそれぞれの立場や固定観念があるし、
だれもが自分とおなじ意見を持っているわけもない。
違いがあるから楽しいんじゃないか。
とか思えたらいいんですけど、思えないー(笑。
けっきょく、わたしが正しいと思っていることが、
ほかのだれかの真実スタンダードから判断したら正しくないだけで、
人にはそれぞれちがった成長のプロセスがあるだけ。
伝わらないままでいいんだな。
伝わらないおかげで、自分が悲しんでたことがわかった。
と、けっきょく、すべて自分の学びにつながる。
もどかしいけどありがたや、ってとこにようやく落ち着きはじめた今日このごろでした。