それがサーフィンってものだ








どこが間違ってるかいうの忘れてた。どっかがまちがってます。
Japan is one of the cleanest country in the world.
(日本は世界でもっとも清潔な国のひとつだ)

答えはー、COUNTRYが単数形なことでございます。

正しくは、複数形COUNTRIESです。なぜなら日本は「清潔な国のひとつ」であるだけで、つまり、清潔な国は日本だけではなくたくさんあることになりますので、国は複数形になるのだ。覚えておいででない方が多いようだが、中高英語で、このくだりはかならず勉強してるハズだ。

ONE OF~の後は複数形!

単数・複数の概念が明確に表現されることのない日本語に慣れてる日本人がまちがえやすいヤツですね。あと冠詞も難関だねえ。A・AN・THE。つけるのかつけないのか、どれがどれなのか、日本人にはまあわかりにくい概念だ。

今日はオンショア。あしたはどうなの?数日サーフィンしてない。サーフィンしたい。こないだへっころでパフェ食べながら相変わらずサーフィンの話ばっかりしてて、サーファーには二種類いて、自分たちはじっさいのところごく少数派なんじゃないかって結論に達した。

二種類というのは、サーフィンをレクリエーションやスポーツの一部としてやってる人たちと、我々中毒患者のことだ。

「“サーフィンしたくない日とかないんですか?”って聞かれてびっくりしたことあるわ。そんなこと思ったことないじゃん。波があればぜったいサーフィンしたいもん。だから言ったんだよね。“オマエさ、朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん食べるだろ。サーフィンはそれと同じだから、やりたくないって思ったことないわ”って。」

サーフィンが完全に生きるという行為の一部になってしまう人と、そうでない人がいる。冬はやらないとか、急に止めちゃう人とか、そもそもまったくハマらない人とか、一年に数回しかやらないって人とか。その境目が何なのかはわからないけど、わたしは完全に前者で、わたしにとって、サーフィンはう○こするのと同じレベルだ。出ないと衝撃的に気持ち悪いじゃん。

わたしはかれこれ20年前、ワイキキでボディボードで最初に乗った一本で、「これしかない!!」と覚醒してしまい、あまりにも衝撃のフィーリングだったため、だれもが私みたいな感覚を持つものだと思ってたが、どうやらそうでない人もけっこういることが分かった。サーフィンのために移住したり仕事変えたりと、人生かけてサーフィンやってる人なんてよく見れば少数派かもね。自分の周りにそういうサーファーが集まってるだけな氣がしてきた。

これ、昨日見たビデオ。この人完全なる中毒患者。わたしにとって何がおもしろいって、ロブさんクラスのサーファーでも、サーフィンに対する感覚はわたしとまったく同じ感覚だってことだ。上手い、下手関係なく、ベースには同じ感覚を共有してるっていうのが、サーフィンのおもしろいところだと思う。

ツアーで試合をまわっていると、とにかくちょっとでもラジカルな動きをしようとするし、つねにもっと上手くやろうとする。しかもそれは簡単にできるわけではない。あまりにも些細なゲームでしかなくて、それを10年くらいやってみて、今、さまざまな板を試すようになったらそんなことはどうでもよくなって、新しい感覚がわき起こった。サーフィンに新たな楽しみができた。スラスターでできてたことはできないけど、こんなことができるんだ!とかね。

ライン取り、アプローチが変わって、どこまでできるんだろう?っていう感覚が生まれる。終わりのない感覚。その扉を一度開いてしまったら可能性は無限だ。終わりのない楽しみ。波一本一本が新たな学びになる。どこまで行けるんだろう。何ができるんだろう。それくらいサーフィンがまた楽しくなった。その楽しみは誰もが感じることができるはずだ。それがサーフィンってものだと思う。サーフィンはつねに新鮮でエキサイティングで新しいことを教えてくれる。ぼくは今でも毎朝起きるたびに、潮は、風は、うねりはどうなってるんだろうって考える。完全に中毒さ。一生終わらない。終わらないでほしいな。

中毒患者談義も最終的にはサーフボード談義へと展開し、自分に合った板に出会うとどれだけサーフィンが変わるか、そしてやっぱ自分がやりたいサーフィンをさせてくれるサーフボードってほんと大事だ!!って話になって、そんな話してたら、新しい板ほしくなってきたわ。