Beach Boys File #01 Ryoichi Fuchie 後編

Beach Boy File #01
Ryoichi Fuchie
淵江亮一さん(湘南在住/27歳)

【後編/On WORK & LIFE】
Interview by Meiko Shinomiya

前編はこちら
Beach Boy File #01前編

Q.大学時代はどんな職業に就きたいと思っていた?
大学では環境科学を勉強していて、そのときは省庁に勤めたいなと思っていました。日本人だと馴染み深い京都会議など気候変動枠組条約を決める会議に参加する仕事をやりたかったので、日本の省庁に勤めるか、国連に就職したいなと。

Q.環境科学はどんな勉強をするの?
環境科学には2つのアプローチがあって、「現状を分析してこういう行動をとろう」というのと、「未来を予測してこういう施策をとろう」という考え方です。その2つのアプローチを融合しているのが、環境問題解決策。どの仕事も両方の側面があると思うのですが、すごくきっぱり分かれているのが特徴で、僕が勉強していた研究室は「未来を予測してこういう施策を考えましょう」という方でした。でも、「考えましょう」まではできないから、「未来のことを予測する」ということをやっていました。二酸化炭素が増えていくとどうなるのか、米の収穫量はとか、台風の来る数などについて研究していたのですが、そんな予測をしているのだったら、目の前にあること、やらなきゃいけない行動をとるべきじゃないかなって思うようになり、研究者という立場が嫌になってしまいました。たぶん、現実離れしているなと思ってしまったのだと思います。やっている人はすごいと思うし、否定しているわけではないのですが、自分の生き方としては違うなと。
Q.どういう経緯で飲食店への就職を決断したの?
アルバイトで得たお給料を使っていろんな店で外食するようになって、「もっとサービスをこうすればいいのに」と思うことがよくあったんです。環境問題から通じて、食糧問題も勉強していたから、まずは人に食を提供する場所で、自分が疑問に思ったサービスを改善したいなと思うようになりました。なんでそれができないのか?という疑問にぶち当たったら、自分でそれをやってみればいいと。その二つの理由で、飲食業の中企業を中心に就職活動を始めました。

Q.就職活動は順調に?
とある会社から内定をいただき、研修として卒業前に店で働いていたのですが、売上至上主義の考え方がすごく嫌で、もっと人の心に入り込めるサービスがあるのではないかなと思い、その会社を辞退して、自分が食べて美味しいと思うイタリアンレストランに就職したのです。今から思えば、自分のサービスのやり方は、企業のあり方とは関係ないので、そういう企業にいても良かったのかなとも思いますが…。

Q.サービスの仕方は企業方針とは、関係ない?
関係ないと思います。サービスマンは店に所属しているけれど、対お客さんと接しているときは一人の人間でしかないから、やりたいようにやれる仕事だと今は思います。『ビストロ・ヌガ』というレストランに所属しているけれど(6月末日で退職)、淵江亮一というサービスマンとして生きていると自覚しています。間違っていることはできないけれども、自分が正しいと信じていることをやっていいのであれば、大きい企業、小さい企業、町場のレストラン、ホテル…、どこであろうが関係なかったのかなとは思います。

Q.就職したレストランはどんなところだったの?
渋谷の小さなイタリアンレストランです。すごく暇なお店で、先輩もいなくて、合っているのかどうかもわからないまま、ひとりでサービスして。最初は料理を取り分けることもできなかったので、珈琲豆をお皿にのせてスプーンとフォークを片手で握って、グラスの中に何秒で入れられるか練習したりしていました。でも、その店がなくなることになってしまって、新しい職場を探すことに。

Q.それで『ビストロ・ヌガ』に?
はい。ちょうど銀座に『ビストロ・ヌガ』が新しくオープンするときで、今まではイタリアンだったのでフランス料理も見てみたいと思いました。応募したら受け入れてくれて、3年半勤めました。サービスマンとしてはすごくいい経験をさせてくれたお店でした。

Q.どういうところが?
それはマネージャーのおかげだったと思っているのですが、自分を信じて自由にやらせてくれたところです。上司からの指示などはほとんどなく、自分で考えてやるという方針でした。合っているかどうかは、結果を見ればわかると。最初は店全体でのまとまりはなかったかもしれないですが、結果的にはみんなが試行錯誤をして考えていたので、意識が高い店になったのだと思います。社長とマネージャーに出会えたことはすごく嬉しく思います。

Q.最初は苦労もありましたか?
『ビストロ・ヌガ』で働き出した頃は銀座のフレンチで働くという気負いもありましたし、他の人がやっている仕事に手出ししてはいけないんじゃないかなとか、すごく引っ込み思案になってしまって何もできなくなった時がありました。最初の3ヶ月くらいは、皿洗いとグラス洗いしかしてなかった。自分が一番年下だったからやらなきゃという気持ちもあったし、表に出ても自分は何もできないじゃんっていう思いもあったので、別にやれと言われたわけではかなったのですが、やっていましたね。その間にみんなの動きを観察しながら、料理をどうやって作るのかなどを見ていました。あの時間がなければ、今のようにはちゃんと働けていなかったと思う。レストランの仕事は、華やかな仕事のように見えるけれども、そういう泥臭いことも、やらないとわからないことがある。でも、今の人はそういうことをあまりやりたがらない。偉そうに聴こえるかもしれないけれども、人が嫌がることも率先してやったらやったで、また次に見えてくるものがあると僕は思います。

Q.仕事で自信を持てるようになったきっかけは?
エスプレッソマシーンを使うことには本当に自信がありました。イタリアでは、みんな食後に頼むのはエスプレッソなので。イタリアンレストランで得た技術は、フランス料理の世界でも活かすことができたのです。「これで俺は勝負していける」と思えた最初のきっかけでした。

Q.仕事の醍醐味はどんなところで感じていた?
そういう経緯でエスプレッソマシーンのあるカウンターで仕事をすることが多くなりました。メインダイニングでサービスしているのも、もちろん好きだけれども、カウンター越しでお客様とより近い距離感で会話ができたことは僕にとって意味のある仕事の経験でした。サービスマンとして直接お客様にできることは限られています。極端に言えば、料理を持って行くのは誰でもいい。でも、「最後の一杯で満足してもらえる」、その歓びは僕が仕事をしている中で9割方を占めると思います。仕事でもプライベートでも、作ることや料理が好きなんです。下手かもしれないけど、サーフボードラックみたいなものを作ったり日曜大工するのも好きです。

Q.『ビストロ・ヌガ』での忘れられないエピソードを教えて。
レストランは祝いの場所であり、出会いの場所であり、別れの場所でもあります。人がプロポーズしたりする場所だし、最後に飲んだアルコールの強い酒のせいで別れてしまう人たちもいる。そういう場所で起こる出来事の中で、サービスマンとして、どれがベストかを選ぶのはおこがましいけれども、とっても嬉しくて忘れられないエピソードがあります。
ソムリエ試験を受けようとしていたお客様がいらっしゃって、よくヌガに来てくださっていました。「じゃあ、試験みたいな感じで食事を楽しみながらワインを出してみますね」と、ワインの品種や産地などを言わないで飲んでもらったりしていました。ヌガはいい店だから、やろうと思ったらそういうことをできるスタッフはたくさんいるけれども、その方はいつも「淵江さんいますか?」と来てくれていました。試験が終わった日にも来てくれて、合格発表があった深夜に祝賀会の後、一人でまた店に来てくれて「合格を報告しなきゃ」って言ってくれました。そのときは、一番嬉しかったです。「淵江さんがいたから、食事を楽しみながらワインの勉強ができた」って。

Q.ワインの勉強は大変?
結構辛いと思います。僕たちソムリエにとっては、日々触れている言葉になっているので、難しくないと感じていますが、サーフィンをやっていない人にいきなり「フローター」とか言うようなもので、そんな言葉が何千語もあって…。しかも、フランス語だから容易にイメージもできない。もし、そんな状況を少しでも手助けできたのならば、嬉しいし、それで喜んでくれていたことは、本当にサービスマン冥利につきるし、なかなかないことだと思います。

Q.仕事としてお客様に与えることのできる幅も広がったと思う?
お客様に与えられる幅はわからないけど、自分がでしゃばれる幅が広がりました(笑)。やれる自信が沸いてきたのだと思います。本当は根拠のない自信なのかもしれませんが…。なぜなら、昨日会ったお客様で自信をつけても、今日会うお客様はまた違うわけだから。同じ人でもシチュエーションは違いますしね。だから、正しくないことの方がきっと多いのですが、勝手に自信を持ってやっています。波乗りと同じで、満足することも、反省することも両方あって、「じゃあ、明日こうしよう」「次に会ったときは、何をしたらいいか」って考える。

Q.常に仕事に対して前向きな気持ちをキープする秘訣は何?
僕は仕事は“楽しいこと”だと思っています。波乗りでも同じことが言えると思いますが、横に滑って斜面を思うように上下して、ターンして、水しぶきあげて…。立つだけでは楽しくないでしょ? 本当に楽しめるってことは、「自分が楽しめるところにいるのか、どうか」だと思います。もし、楽しめるところにいないのであれば、楽しめるところまで本当に自分は努力したのか? まわりのせいにしてないか、境遇のせいにしてないか? どんな仕事でも楽しいこともあれば辛いこともある。それがプロサッカー選手でもサービスマンでも関係なくて、自分が楽しめると思うところに自分を持っていく努力をすることだと思います。その間はやっぱり辛いけど、その辛さが土台にないと仕事も上手くできないし、上手くできるようになるから楽しい。そのレベルにならないと、できないことも楽しいって思えないのでは? 仕事が楽しくないというのは、努力している人に失礼だと思う。「やってられないよ」っていうのは、そのやり方だからやってられないだけで、やり方を変えればできるのではないか。自分が選んだ仕事ですからね!

Q.ビストロ・ヌガを辞めようと思った理由は?
退職する、つまり、ひとつの場所を去るという決断はすごく覚悟がいることでした。いくつかの理由がありますが、レストランでの仕事は雇われている立場では、そのお店の中がすべて。基本的には営業もしない。朝、お店に行って、営業時間が始まって、お客様を送り出して…。毎日、その繰り返し。飽きたとかじゃなくて、もっと違う世界を見てみたいと強く思うようになった。

Q.これからどんなことをしたい?
レストランサービスマンというのは、時間を与える仕事。時間や雰囲気は創っているかもしれないけれども、実際に何かを作り出しているのではない。創作の「創」はやっていても、「作」はやっていない。自分の性格的に、両方やっていないと満足できないんです。そういう意味で、その両方で自分がやれることを見いだしてみたいなと思っています。

Q.それは具体的にはお料理を作ってみたいということ?
はい。まだまだ勉強しなければいけないことがたくさんありますが、料理はプロの料理人だからといって美味しいわけではない。何でもそうだと思います。写真も、プロカメラマンであればいい写真を撮れる可能性はもちろん上がってくるけれども、プロだから100%ではないと思うし、エッセイストという肩書きを謳っているからといって、人に響く言葉を書けるのかというと違うと思う。つまり、誰にでも何でもやれる可能性はあるということだと思います。その可能性を試してみたい。ダメになることだってあるだろうけれども、ダメになったらダメになったで、勉強すればいい。

Q.これから料理以外に、新たにチャレンジしていきたいことはある?
最近は、波乗りしかしてないので、まったく勉強が進んでいないですが、アロマセラピーの資格も取りたいと思っています。ワインと通じる「香りを採る」という部分があるし、それをもっと勉強すれば自分でオイルを作れるようになるでしょ? 楽しそうじゃないですか。ワイン的な表現をアロマオイルの世界に広げたり…。

Q.あなたにとって仕事とは?
人を満足させることに自己満足を覚えること。仕事は根本的には人のためにやっていることではないと思っています。100%人のためだったらボランティアで、仕事というのは、自分が生きているために生業(なりわい)としてやっていることだと僕は思っています。でも、そこに満足を感じられなければ、いい仕事はできない。満足を感じるのがどこであるべきかというと、自分がやったことではなくて、それを受け入れてくれた人が自分がしたことをどう喜んでくれたかだと思います。喜んでくれたことが喜ばしい、それで自分も嬉しくなれたら、いい仕事なんじゃないかな。レストランというお客様の表情とか言葉をすごく近い距離で触れる事ができる仕事だから、そう言えるのかもしれませんが、これから先、違う仕事をしても、誰かが満足している、それが嬉しいと思える気持ちがあれば、仕事として素敵なんじゃないかなと思います。

Q.仕事としての最終的な理想像は?
欲張りだからいろんなことをしていたい。レストランを仕事に選んだ理由も、美味しいものを食べて喜んでいる顔を見たかったから。もし、自分ができるんだったら、その時間の手助けをしたい。レストランはずっとやっていきたいけれども、結婚式やお葬式をプロデュースしたりするような仕事もしたいし、自分が書くことで人が幸せな気持ちになってくれるんだったら書きたいし、教える事にも興味があります。何かを学んで自信を持つ子供たちの姿をサポートできるんだったらって思います。

Q.あなたにとっての生き甲斐は?
これは自分のエゴなのかもしれませんが、人間が感動する場所にいたいです。そのためだったら、何でもできる。それは仕事でもプライベートでも。それが、自分にとっての生き甲斐だと思います。自分が満足して気持ちいいのはもちろん楽しいけれども、それ以上に誰かに楽しくなってもらいたい。それができれば、何をやっていてもいい。やりたいことはたくさんあるけれども、そういう自分であってほしいなって、将来の自分に思います。

Q.尊敬している人は?
出身校、西武文理高校のラグビー部の監督、高田裕二先生。ラグビーを始めたのも、高田先生の影響です。かっこよかった。絶対に人として曲げてはいけないこと、男として逃げてはいけないこと。キャプテンをやらせてもらっていたのですが、リーダーだったら、どう体と気持ちを張らなきゃいけないのかということを教えてくれました。
高校を卒業するときの高田先生からのメッセージが「この学校になんか、戻ってくるな」だったんです。今、目の前にあることを一生懸命やれと。そういう気持ちがあったら、戻ってこようなんて思わないはず。後ろを振り返る年齢じゃないからって。「今までありがとう。大好きだけど、さようなら」って。高田先生が伝えてくれたのは、魂がこもっている言葉ばかりでした。ある日、「実現」「現実」という二つの言葉を黒板に書いて、「現実をひっくり返さないと夢は実現しないんだ。何かを変えろ、それを見つけろ」って。そんな言葉を中学生に言えるってすごいと思います。自分はその場で泣きました(笑)。この学校に行けてよかったと思うのは、高田先生に出会えたから。大好きです。

Q.これからの夢は?
いろんなところに行って、いろんなことを見て感じて、考えて、したい。特に海にも行きたいけれども、ワインが好きだから山にも行きたい。作っている人の気持ちを知りたいし、顔を見てみたい。最初に行きたいのは、スペインの海岸部とカリフォルニア。ワインもあるし、波もあるから。日本の中でも、ワインを作っているところにも行きたいし、いろんな海にも行きたい。でも、戻ってくるのはきっとここ(湘南)なんだと思う。自分がサーフィンを始めた場所だから、日常でもあるし憧れでもある場所。今もその気持ちは変らない。仕事も、熟練されていくとかではなく、年を重ねる度に新しいことをするような気持ちで接していきたい。ひとつのことを熟練していくことも素晴しいけれども、サーフィンでいろんなボードに乗りたいと思うように、いろんなことをしていきたい。ロングボードもショートボードも、マックのトレーでも波に乗りたんです(笑)。あ、でもみんながマックだったら、ケンタッキーがいいかな(笑)。「成し遂げたい」ではなくて、いろいろ「見たい」のだと思います。

前編はこちら
Beach Boy File #01前編

PROFILE
淵江亮一●1984年8月6日生まれ。東京都出身、神奈川県藤沢市在住。ホームポイントは辻堂。早稲田大学を卒業後、都内のイタリアンレストラン、ビストロでの勤務を経験。ソムリエとバリスタの資格を持つ。プライベートでも日々ワインを楽しみながら、ほぼ毎日海に入りビーチライフを満喫。NAKI SURFニコリンブログ執筆中!  http://www.nakisurf.com/blog/nikorin/